top of page
![スクリーンショット 2022-08-03 11.59_edited.jpg](https://static.wixstatic.com/media/e7e0ff_722ce10c17164d469819794fecc7ef16~mv2.jpg/v1/fill/w_52,h_27,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/e7e0ff_722ce10c17164d469819794fecc7ef16~mv2.jpg)
昭和文学で旅する北京
中山公園
北京で最も早く公園として開放された皇家園林のひとつ。天安門を挟んで西側に位置し、東側にある太廟(現在の労働人民文化宮)に相対する遼金代の興国寺の遺跡を改1421(明の永楽し、19)年に社壇を建造。明清代皇帝の時代には毎年、社神(土神)と稷神(五穀神)を祀る祭祀を行い、天候の順調、五穀豊穣、国家繁栄を祈った。1913年に社壇は政府により接収され、翌年中央公園の名称で一般開放された。
1925年、北京にて逝去した孫文(号は中山)の棺を一時期この祭壇(現在の中山堂)に安置していたことに由来し、1928年中山公園と改称された。緑豊かな園内には、孫文の彫像やゆかりの展示品が並ぶ中山堂のほか、社稷壇(しゃしょくだん)、音楽堂、習礼亭等の建築物がある。
(『地球の歩き方D03北京2016〜2017年版』ダイヤモンド社、2016年、158頁を参考。)
中山公園の過去と現在
1934
1935
2023
今昔対比写真
bottom of page