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​円明園

 円明園は、北京市の北西にある、かつての清朝の離宮跡。

 1860(清軍から徹底的な破壊と略奪を受け、修復と整備が進められての咸豊10)年、アロー戦争(第2次アヘン戦争)の際に英仏軍から徹底的な破壊と略奪を受け、修復と整備が進めたれているものの、ほとんどの部分は今なお廃墟そのものといった装いである。

 円明園が造られたのは、清の康熙帝の時代だ。明末の内乱の際に荒廃し廃園となっていた皇族の離宮が康熙帝によって再建されたのが円明園の始まりで、その事業は以後の清朝歴代皇帝に引き継がれた。最終的な完成までには、5代150年という長い年月が費やされている。

 特に雍正帝、乾隆帝の時代には当時中国を訪れていたイエズス会の宣教師であるカスティリオーネらも設計に参加し、バロック様式と中国様式が融和した壮麗極まりない庭園が造り出されることになった。

 なお、円明園というのは、本来乾隆帝の頃に修築された長春園と綺春園(きしゅんえん)の3つを合わせた総称で、当時は周囲20kmほどの広さをもち、世界最大の庭園として清朝の皇帝権力を誇示していた。広大な敷地の中に200以上もの小山があり、無数の建築物が建てられ、その美しさは皇家園林「三山五園」の第一とたたえられたという。園内には、杭州の西湖を再現したものなど合計で160もの風景が広がっていたといわれる。しかし長春園と綺春園は戦乱の際に失われ、遺跡として残っているのは円明園だけである。

(『地球の歩き方D03北京2016〜2017年版』ダイヤモンド社、2016年、148頁を参考。)

円明園の過去と現在

1935

1942

2023

今昔対比写真

昭和文学で旅する北京

九州大学地球社会統合科学府

蘇冠維

*本サイトは、九州大学大学院未来共創リーダー育成プログラム(GIPAD)の支援によって作られたものです

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