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盧溝橋

 1192(金の明昌3)年に造られた、北京の南西約20kmの豊台区を流れる永定河に架かる石橋。もともとこの場所は北京で最も外側の出入口に当たり、ここから江南の地へ向かうには水路のほかには、この橋を渡っていく以外に方法がなかった。そのため、旅人を見送る人はこの橋で別れを惜しむのが習わしであったという。また、北京八景の月の名所として知られており、橋の東側脇には清の乾隆帝が建てた「盧溝暁月」の碑文が今も残されている。

 全長260m、幅7.5m。橋桁は11のアーチで構成されており、欄干の上には一つひとつ違う姿と大きさをした500体ほどの石造りの獅子が立ち並んでいる。元の時代にこの地を訪れたマルコポーロも『東方見聞録』の中でこの橋についての記録を残し、「これほど美しい橋は世界中どこを探してもほかには見つからないだろう」と述べている。そのことから、この橋を通称してマルコポーロ・ブリッジとも呼ぶ。なお、橋の保存のために現在では南側に別の橋が架けられ、車の通行は禁止されている。

 また、ここは1937年の7月7日に起きた軍事衝突事件、通称「盧溝橋事件」をきっかけとして1945年まで続く日中戦争が勃発した歴史的な場所である。橋の東側正面に日本軍が最初に占領した宛平城という城があり、その中には中国人民抗日戦争紀念館が設けられている。

(『地球の歩き方D03北京2016〜2017年版』ダイヤモンド社、2016年、157頁を参考。)

盧溝橋の過去と現在

1935

1942

1979

2023

今昔対比写真

昭和文学で旅する北京

九州大学地球社会統合科学府

蘇冠維

*本サイトは、九州大学大学院未来共創リーダー育成プログラム(GIPAD)の支援によって作られたものです

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