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中山公園

 北京で最も早く公園として開放された皇家園林のひとつ。天安門を挟んで西側に位置し、東側にある太廟(現在の労働人民文化宮)に相対する遼金代の興国寺の遺跡を改1421(明の永楽し、19)年に社壇を建造。明清代皇帝の時代には毎年、社神(土神)と稷神(五穀神)を祀る祭祀を行い、天候の順調、五穀豊穣、国家繁栄を祈った。1913年に社壇は政府により接収され、翌年中央公園の名称で一般開放された。

 1925年、北京にて逝去した孫文(号は中山)の棺を一時期この祭壇(現在の中山堂)に安置していたことに由来し、1928年中山公園と改称された。緑豊かな園内には、孫文の彫像やゆかりの展示品が並ぶ中山堂のほか、社稷壇(しゃしょくだん)、音楽堂、習礼亭等の建築物がある。

(『地球の歩き方D03北京2016〜2017年版』ダイヤモンド社、2016年、158頁を参考。)

中山公園の過去と現在

1934

1935

2023

今昔対比写真

昭和文学で旅する北京

九州大学地球社会統合科学府

蘇冠維

*本サイトは、九州大学大学院未来共創リーダー育成プログラム(GIPAD)の支援によって作られたものです

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