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林房雄

  • 1903年〜1975年

  • ジャンル: 小説家

  • 出身:大分県

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  • 東京帝大在学中に短編「林檎(りんご)」を「文芸戦線」に発表し,プロレタリア作家として出発するが,のち転向。昭和8年小林秀雄らと「文学界」を創刊。戦後は「息子の青春」などの中間小説をかき,「大東亜戦争肯定論」で話題をよんだ。昭和50年10月9日死去。72歳。大分県出身。東京帝大中退。本名は後藤寿夫。作品に「青年」など。

日本人名大辞典』(JapanKnowledge Lib)

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  • 中国との関わり:

​林房雄はプロレタリア作家として有名だったが、1932年から1934年の間 に転向し、1937年の日中事変後、頻繁に中国に渡り、上海、満洲、 北京、南京を舞台とし た数々の作品を残した。また、 戦後の1946年から1949年の間に中国体験をもとに短編小 説を書き、いわゆる「大理想」 の破滅に哀歌を捧げた。1960年代初頭一時世間を騒がせた 『大東亜戦争肯定論』 においても中国体験と新中国に関する内容に少なからず言及したのである。

李雁南「失われた幻想空間 : 林房雄の「中国」」『中央大学政策文化総合研究所年報』(23)、2019年、65頁。​​

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  • 北京関連小説:

『絵の無い絵本』(「文壇新人叢書 第3篇』春陽堂、1926年)

「北京の壺」(『香妃の妹』後藤書店、1946年)

「香妃の妹」(『香妃の妹』後藤書店、1946年)

  • 北京紀行:

「随想北京」(「公論』第2卷第9号(1942年8月号))

「随想北京」(『公論』(第2卷第10号(1942年9月号))

   

林房雄と北京

紫禁城(故宮)

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 空を見上げた。その日の紫禁城の空には一片の雲もなかつたのにが。つまり、毎日々々、私は心配ばかりしてみたといふことになるのだが、あんまり心配顔をしてゐるのもどうかと思つて、時々竿をかついで釣に出かけた。

(林房雄「随想北京」『公論』第2卷第9号、1942年8月、209〜210​頁

​万寿山・昆明湖

 さて、滞在が永くなると、北京と東京のやうになつてしまつて、朝つぱらから何やかと訪問客が多く、まるで仕事ができない。それを見て、親切な支那の友人が萬壽山のホテルを紹介してくれたので、引越すことにした。萬壽山飯店は昆明湖の中心にあつて、従つてまわりは水である。魚が澤山游いである。釣らざらんと欲しても、釣らざるを得ない環境である。こ々では釣魚は禁止されてゐるらしいのだが、島の住民だけには一應は默認といふことになつてゐるらしい。

 

 萬壽山の鮒は、十七孔橋の上などから眺めると、尺鮒が悠々列をなして游いでゐるのだが、どうした加減か鉤にはかからぬ。(西大后の釣魚臺で、一日に三貫匁(もんめ、重さの単位)あげたといふ人にも出會つたが、それは昔の話であらう。

(林房雄「随想北京」『公論』第2卷第9号、1942年8月、211〜212​頁

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