昭和文学で旅する北京
野上弥生子
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1885年〜1985年
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ジャンル: 小説家
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出身:大分県臼杵 (うすき) 町
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野上豊一郎の妻。夏目漱石の門下。はじめは写生文的な作品から出発したが、やがて人間性の探求や社会批判などヒューマニズムに立った作品を展開した。著作に『海神丸』『真知子』『迷路』『秀吉と利休』などがある。
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中国との関わり:野上弥生子は1937年と1957年の二回中国を訪れた。
①野上弥生子が最初に寄ったのは中国の上海と香港である。1937年の10月ごろであったために、日中戦争の最中であったと言える。
②野上弥生が中国対外文化協会と中国作家協会の招きによって革命後の中国(主に広州、北京、延安)を訪れたのは、1957年6月2日から7月10日(往復40日間)にかけてのことであった。当時の日本は、1952年に台湾の国民政府との間に日華平和条約を締結していたものの、大陸の中国共産党政府との間には、まだ正式な外交関係は存在しない状況であった。ただし、1953年の日本中国貿易民間協定を初めとして、民間レベルでの経済および文化の交流は可能であり、弥生子自身はもとより、彼女の次男・物理学者の野上茂吉郎もまた、中国の招きによって弥生子よりも二週間早く大陸を訪れ、期せずして野上親子は共に日中文化交流の一翼を担うことになったのである。
(陳淑梅「文学者が見た近代中国(二)―野上弥生子『私の中国旅行』論―」『明治大学日本文学』、1997年を参考。)
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中国紀行:『上海(海外だより 第一信)』 (1939) 、『香港(海外だより 第二信)』(1939)、『私の中国旅行』(1959)
野上弥生子と北京
赤瓦の屋根、黄いろい壁といった近代建築の聚落、その必要から切りひらいた山の、ほとんどまっ赤な土の断層、あたりの緑樹、花、碧空、そうしてまもなく辷りこんだ駅のプラットホームに、アーチ型にいく筋となく揚げられた赤旗、これらのどぎつく濃厚でみじんも軽みのない錯綜は、なによりまず中国の色感を教えてくれた。いよいよ北京入りをして故宮、景山、万寿山のごとき場所を訪ねても、すくなくとも色彩的にはこの第一印象に支配されたといってもよい。なおいえば、京劇の女形のまっ赤な頬さえいつも私の連想に浮かんだのは、あの丘陵のくれないの土である。
(野上弥生子「私の中国旅行」『野上弥生子全集』岩波書店、1980年、169−170頁。)
地球上の国から国を経めぐっても、この北京にそっくりだという町を、どこかで見つけることができるだろうか。天安門まえの人民広場から官庁街の黄瓦朱壁のあいだを過ぎたり、東交民の透かし彫りのある石塀、もの寂びた厚い土壁、まっ赤に塗られた門。それらの門ごとに一対ずつ、なにかトーテムのようにうずくまる燦然たる黄金の獅子に眼を見はったり、またどの方向にむかっても美しい威厳ある城門、城壁に迎えられ、あるいは自動車の窓に思いがけず五彩の宮殿が、翠樹を圧してそばだつのが映ったりする時、私にはいつもその感動がわくのであった。
(野上弥生子「私の中国旅行」『野上弥生子全集』岩波書店、1980年、195頁)
北京の運搬機関はいまだにほとんど荷車で、驢馬や馬にことこと曳かせて行く。私たちは見なかったが、同じころに物理の仲間と招かれていた息子のMは、帝国ホテルともいうべき北京飯店のまえに、数頭の駱駝が歩いていためずらしさをいう。これらは、チンコム(対中国輸出統制委員会の略)の掣肘からトラックが手にいりにくいための現象に違いない。とはいえ、急速な輸入は人夫たちを失職させる羽目にもなるであろうし、なお六億の人口のありあまる労働力を、しいてガソリンにかえる必要はないと考えているのかも知れない。いずれにせよ、彼らはなんときんぺんに働くだろう。
(野上弥生子「私の中国旅行」『野上弥生子全集』岩波書店、1980年、217頁)
話題は北京から北西の周辺にある明の十三陵へ移った。私たちもすでにそこは訪ねていた。一般の見物のコース通り、万里の長城見物からまわったのである。八達嶺あたりにくらべては別の国かとおもわれるほど、瑞々しい松に蔽われた連山のいったいが螢域(えいき:墓地)になり、山のすがたも、私たちの大和路に見るようなまる味をもって美しければ、松もめずらしく赤松で、あかね色がかった幹をそろえた山壁のかなた、こなたに、墓陵の建物が黄金と丹碧に輝やいている。とりわけ代表的な永楽帝の霊廟(れいびょう:祖先の霊を祀る場所)は、荒廃のままになっていたという人、馬、象、駱駝等の名高い石像が、長い参道の両側にもとの位置をとり戻しているのをはじめとして、すべての修復が完全にできあがっていた。
(野上弥生子「私の中国旅行」『野上弥生子全集』岩波書店、1980年、224頁)