昭和文学で旅する北京
竹内好
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1910年〜1977年
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ジャンル: 中国文学者・評論家
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出身:長野県に生れ、東京で育った
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東京帝国大学卒。武田泰淳らとともに中国現代文学研究の基礎を築いた。また、中国文学研究によって養った視点から、日本社会批判を展開した。翻訳に「魯迅文集」、評論に「魯迅」「現代中国論」など。
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中国との関わり:
生涯において、竹内は日本文学と中国文学に関する学問的業績を多く残した。竹内は中国へ行き身を以て当地を体験し、また日本で日本文学の作家と交流を重ねた。竹内の学問は書物から学んだことのみならず、同時代の日本と中国とで経験した彼自身の生活と深く関わっているのである。
1932年に竹内好は、外務省対支文化事業部の半額補助による学生主体の団体旅行で朝鮮各地を経て中国(当時は満州国)の長春と大連まで行った。そして、そのまま帰国せず、竹内は北京に私費で留学した。最初の北京留学に対して、竹内は後の回想録で「私の中国との結びつきは、このときにはじまる」と書いている。
1937年10月から、1939年10月にかけて竹内好は国費留学生として北京に留学した。この第二回の北京留学は、竹内の思考にとって大きな変化の契機であった。帰国後、竹内は戦後の日本に強い影響力を持つことになる『魯迅』を1943年に完成し、1944年に出版した。(中略)戦後、竹内好は日本文学と中国文学の双方に関心を持ち続けた。
YU Yiyan「竹内好の向きあった中国と文学 : 戦中戦後の日記から読む」立命館大博士学位論文、2019年9月、1〜2頁。
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北京紀行:「遊平日記」(1932年)・「北京日記」(1937〜1940)など
竹内好と北京
故宮博物院にゆく。本日は中路なり。摘藻堂(図書館第三陳列室)をすぎて進む。すべて満漢両語の扁額を掲ぐ。石だたみに模様を刻す。門の数無数なり。「故宮守護」なる襟章を付せる少年巡警。鍾粋宮、西太后の居室にて元明清の書画を陳列す。永和宮、光緒瑾妃居室にして元妃のcoffinありしが、今はold clocksの陳列。すべて時計の数数十。時計陳列室だけでいくつかあり。同順斎また然り。景仁宮は珍妃寝室。今bronze exhibitionに当つ。斎宮、「美国艾爾登先生捐美金一千五百元修理此宮云々」。正面に五尺位の碧玉の彫刻。青玉にラデンをちりばめたるもの etc. 烟壺陳列室は白玉、雲玉、メノウ、青玉等の烟具を陳列す。各部屋すべて封印あり。乾清宮、神桿。坤寧宮、明皇后寢宮所謂中宮なり。今祭祀の道具等を陳列す。景泰藍陳列室、cloisonné.第二彫刻陳列室、象牙の塔、象牙の竜船等。第一彫刻陳列室、木彫天然木多し。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、16頁)
本日は故宮博物院別院即ち太廟見学。東西両廡(廡:ぶ。母屋の向かいまたは両側の小さい建物)には功臣将軍らまつる。正面は即ち歴代皇帝の祭場なり。奈良大仏殿も驚[恐]らくしのぐべき大建築。皇帝及皇后の椅子並び、之に位牌を坐せしむるなり。皇帝の皇后の数、向って右より穆宗一、宣宗四、高宗二(乾隆帝)、聖祖四(康熙帝)、太宗二、太祖一(中央にあり)、世祖二、世宗二、仁宗二、文宗三、徳宗一。このうらの建築を中殿と云い、位牌を安置す。また後殿もあり。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、18頁)
一人にて雍和宮へゆく。見物人少く、例の歓喜仏何れだかわからず、甚だあっけなし(稚けなし:子供っぽい)。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、20頁)
玉泉山に抵る。水澄んで美し。天下第一泉あり。御筆を拓本にとる。塔ありて上る。宏壮なる玉泉山風景の全貌を俯下す。塔多々あり。廃墟に似たる静さと共にあり。玉泉山は孤立せる山な遠く昆明湖、万寿山をみる。塔中壁ガン多々あれども、今は仏像殆どなし。山中乾隆の御筆多し。鵞鳥、あひる、豚、らくだ、すべて郊外の風物なり。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、17頁)
故宮を出で景山に登る。綺望楼あり。景山は五つの山より成り人工。登れば北平市中一帯を見渡して壮観なり。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、16頁)
丁先生らと共に出で、東安市場にて羊肉のすきやきに似た料理を御馳走になる。うまく、且つ安きに驚く。市場北口にて別れ、我々は本屋をひやかし、十数円買い物して帰る。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、21頁)
北海公園に抵り五竜亭に休み、持参のパンとcornbeefで昼食。五竜亭は北海の塔、景山、故宮の瓦を一望し、風景良し。池に魚集り、パンくずを投れば争いて飛ぶ。帰る。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、21頁)
文理大学生その他四人と出、瑠璃廠へゆく。信紙、封筒及扇子を買う。前門外を歩く。雨やや降来る。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、19頁)
本日、文理大一行と共に万寿山にゆく。(中略)万寿山は仁寿殿、楽寿堂等見物。西太后の洋車あり。邀月門より長廊を渡る。排雲門、排雲殿、銅亭(銅のテーブルあり、数名にて動かさんと試みしも余りに重し)。すべて大理石を多く用い、黄、緑、黒の瓦の群美し。石舫は大理石の二層、天子皇后の船(竜頭)。渡船により池を横切る。銅牛、十七孔橋等。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、17頁)
帰り昼食後、中山公園にゆく。旧社稷殿の跡あり。skate, baby golf 等あり。樹陰にテーブル椅子を並べ、休息して茶を呑むに良き処なり。
(竹内好「遊平日記」『竹内好全集 第15巻』、1981年、19頁)