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孔子廟・国子監

孔子廟(こうしびょう):

1302(元の大徳6)年に、時の皇帝フビライが当時被支配民族となっていた漢族の知識階級の人々を懐柔するために築かせたといわれる、古代中国の賢人孔子を祀った。約2万2000m²の広さを有し、山東省曲阜の孔廟に次ぐ規模を誇る。

中心の建物である大成殿は明の永楽帝の時代に設けられ、清代にもさらに規模が拡張されている。清の乾隆帝は廟の瓦を本来皇帝用のものとされる瑠璃瓦に葺き替えさせ、孔子の権威を高めたという。元、明、清代の科挙合格者の名を刻んだ石碑など多くの歴史的文物があり、科挙の受験生が筆を洗ったと伝えられる井戸も残されている。

 

国子監(こくしかん):

国子監とは中国の最高学府を指す言葉で、その起源は周代に遡る。北京の国子監が建てられたのは1306(元の大徳10)年。当時の支配民族であったモンゴル人に漢語を、漢族の子弟にモンゴル語を教えるのが目的であった。孔廟の隣に立つのは「左に廟、右に学」という当時の建築規定にのっとったため。集賢門の名をもつ正門を入って太学門をくぐると、見事な瑠璃の牌楼が目に映る。その後ろには、主堂となる辟雍の優雅なたたずまいがある。この建物は周代の学舎を模しているといわれ、さらに奥の彝倫堂(いりんどう)と呼ばれる蔵書庫は、現在は首都図書館の閲覧室となっている。

孔子廟・国子監の過去と現在

1935

1942

2023

​今昔対比写真

昭和文学で旅する北京

九州大学地球社会統合科学府

蘇冠維

*本サイトは、九州大学大学院未来共創リーダー育成プログラム(GIPAD)の支援によって作られたものです

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